台北旅行(4)

台湾桃園空港からバスで台北駅に着き、地下街でお昼ごはんも食べたので、少し元気が出てきました。

台北駅ではコインロッカーが見当たらないので、バッグを持ったまま北投温泉に向かいます。

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台北駅からはMRT(地下鉄)淡水線に乗り、北投駅で乗り換え、新北投まで行きます。
駅前の交差点を渡り公園を抜けて温泉博物館に向かいました。

Wikiより:
北投温泉博物館は日本統治時代の1913年6月17日、約700坪の敷地に2階建てレンガ建築で建築された公共浴場(北投温泉浴場)を利用している。建築当時1階は大浴場、2階は木造の休憩エリアであり、レストランや娯楽室が設置されていた。

1945年、国民政府が台湾に進駐すると、温泉浴場は接収され、1階に民衆服務社及び温水プールが設置されたが間もなく使用停止となり、その後は荒れるがままに放置されていた。

1994年、北投国小(小学校)の教師と生徒がこの建造物を発見し、その歴史的価値を認め保存する運動が住民の間で発生し、1997年台北政府はその請願を受け入れ、公共浴場を文化財(三級古跡)として保存することを決定した。

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中に入ると、日本の温泉旅館にあるような座敷の宴会場と演芸舞台などが残されていました、日本の玉川温泉と同じ温泉効能だそうです。

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Wikiより; 北投温泉は、天然のラジウム泉として知られる。また硫黄の成分も多く、町には硫黄の臭気が漂う。

北投温泉は、明治16年(1894年)にドイツ人商人が発見したといわれている。1896年、大阪商人平田源吾が北投で最初の温泉旅館「天狗庵」を開業した。 その後、日露戦争の際に日本軍傷病兵の療養所が作られ、それ以降、台湾有数の湯治場として知られるようになった。

1905年、日本人学者岡本要八郎によって北投石が発見される。北投石は、微量のラジウムを含んだ湯の花が、何千年もの歳月をかけて石灰化したもので、世界ではここと秋田県の玉川温泉でしか産出されない。当地にある共同浴場瀧乃湯の前で発見された。

また同年、「湯守観音」を祀る「鉄真院」(現普済寺)が創建される。

1913年、北投温泉公共浴場(現北投温泉博物館)が落成し、北投公園も完成する。

戦前は、モダンな建物が立ち並ぶハイカラな温泉街として知られ、1923年には昭和天皇(当時は皇太子)も訪問した。

戦後、台湾が中華民国に帰属した後、中華民国政府は北投温泉を歓楽街として位置づけ、置屋の営業を認めた(公娼制度)。この為、国の内外から売春目的で北投温泉を訪れる観光客が集まった。

しかし、公娼制度は1979年に廃止され、また、当時台北市長だった陳水扁(前任の中華民国総統)の健全化政策により、北投温泉から置屋は消滅し、親子で楽しめるような観光地が復活した。

2010年、台湾でも人気の高い日本旅館「加賀屋」が「北投加賀屋」を開業した。

 

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どこかの温泉旅館で入浴だけでと思いましたが、何となく温泉地のホテルと言う雰囲気でなかなか気に入ったところが有りません。ガイドブックには露天風呂があると紹介されていたので露天風呂を探しました。

やっと見つけたのが親水露天温泉浴池、1人40元(140円)。入って着替えるところを探すと、シャワールームで着替えているようです。持参した水着に着替え、荷物を預けるところもないので露天風呂から見える木陰に置きました。

まずは身体の汗を掛け湯で流して、脚を浸けて湯船に腰かけてゆっくりしていると、突然温泉の上の入り口方に居る管理人から、ホイッスルがなりました。隣にいた台湾の人から湯船に腰かけて、脚だけを浸けてはだめで、湯船の淵に腰かけるなら脚を外に出して座ればよいと、アドバイスがありました。なるほど見渡してみると誰も湯船に腰を下して足だけを浸けている人はいません。温度の違う湯船や水風呂など合計6つあり、水のシャワーもあります。

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西洋人の利用者も3人ほどいました、日本人は私たち夫婦だけです。雰囲気としてはちょっと日本人には入りにくいかも分りません。