3/21(土) 第一回ポタリング部 大正区渡し舟ツアー
いつもよく行く、南船場の『ギャルリー・チガーヌ』の自転車好きの人たちが集まり、ポタリングの同好会ができたので参加させていただきました。
大正区の渡し船めぐりのポタリング、スピードは出さずにのんびり観光スポットや名所、旧跡をたどりながら自転車を楽しむ会です。 以前に一人で大正区の渡し船めぐりをしたのですが、今回は大正区にお住いのNさんがガイドをされて、大正区の歴史スポットなどを巡りながら、解説付きのポタリングになりました。
【木津川飛行場】
イケアの南の方に船町というところがありますが、そこに日本初の『民間飛行場』ありました。
木津川飛行場(大阪飛行場)と言いました。 大正12年(1923)淀川末流の木津川尻埋立地に、我が国最初の本格的な民間飛行場として「大阪木津川尻飛行場」が開設されました。当初は水上飛行機が就航する水上飛行場でした、離陸・着陸には飛行機をクレーンで吊って陸上・海上を飛行機を移したそうです。
その後すぐに陸上機機能を持つようになり、大正13年(1924)には「春風号」(川西K6型)が、我が国初の日本一周飛行に成功しています。その後、航空局が船町の軍用地と私有地を飛行場用地に内定。
389,400平方メートルを整備して昭和4年(1929)に日本初の公共飛行場「木津川飛行場」(大阪飛行場)として供用を開始しました。同年には東京‐大阪‐福岡を結ぶ定期旅客便が開始され、「エアガール」(スチュワーデス。客室乗務員)第1号も、木津川飛行場から誕生しました。運賃(当初)は大阪~高松間で
40円という記録が残っています。昭和13年(1938)には定期の年間発着回数5,107回、不定期3,676回、旅客10,124人、取扱貨物38,700余キログラム、郵便97,700余キログラムと当時のレコードを記録。しかし発着数がキャパシティを越えたため、昭和14年(1939)、大阪第二飛行場(伊丹飛行場)に移転。あえなく閉鎖されました。現在、中山製鋼所構内に飛行機格納庫が残っています。
※大阪コミュニティ・ツーリズム推進連絡協議会「大阪あそ歩」の資料より。
今回の走行距離は約23kmでした。